ゆるやかな時間を味わうなら臼杵市

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風連鍾乳洞があるのは大分県臼杵市です。大分県臼杵市には、ゆっくりとした時間が流れるようなそんな観光がオススメです。実際に日本一美しいと称された風連鍾乳洞が発見されたのも、他の日本にある鍾乳洞と比較すると、発見されたのはかなり現代に近いといっても良いほどです。山口県美祢市にある「景清洞」(かげきよどう)などは、今から1000年ほど前に発見されていてなんでも伝説によると源平合戦で敗戦した平家の武将の平景清が潜んでいたという伝説もあるほどです。

その一方で臼杵市にある「風連鍾乳洞」は、日本一美しい鍾乳洞と称されてはいますが秋吉台のように有名な鍾乳洞とはいえません。有名ではないからこそ、知る人ぞ知るそして行ってみたらこんな鍾乳洞があったなんて!という驚きと感動を与えてくれます。

城下町の町並みでも有名

大分県の臼杵市は、近年城下町の町並みとしても知られてきています。そして臼杵市の中でも極めて有名なのが、国宝に指定されている臼杵石仏です。石仏は正しくは臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)ですが、磨崖仏としては日本では初そして彫刻としては九州の中で初めての国宝指定となりました。そんな素晴らしいものが、風連鍾乳洞のあ臼杵市にあるなんてあまり知られていないのがとても勿体ないことです。

石仏もあれば、臼杵はキリスト教とも密接な関係があります。その理由は大友宗麟が臼杵に1556年に築城して臼杵へ移って来たこと転機です。大友宗麟の人柄をしたって多くのキリシタンたちが大勢臼杵に移住してきたことで、その当時は武家屋敷とお城しかなかったものを臼杵城下へと開発しました。そして臼杵教会を1560年に建立したこともあって臼杵市は石仏もあれば、キリスト文化もあるという町になっています。

参拝のご利益はリストラ回避?!

臼杵石仏が磨崖仏として日本で初めて国宝に指定されたのは、比較的新しく平成7年(1995年)のことです。国宝に指定される前は、昭和27年(1952年)に国の特別史跡として指定されていました。磨崖仏が設営された時期などの史料はまったく残っていないので、いったいいつ設営されたのかが分かっていませんが、おそらく仏像の様式からみておそらく平安時代の後期そして、石仏の一部は鎌倉時代に作られたのでは。と推定されています。

磨崖仏は山岳仏教が衰退されるとともに、忘れ去られてしまう運命を辿り結果1000年の風雨に曝され続けることになりました。そしてもともと石仏が掘られている所そのものも、阿蘇山のい噴火の火砕流が溶けて固まった凝灰岩に掘られた石仏そのものも素材として脆くなっていることと、参拝者たちによってごく自然にできた道がやがて大雨の時には道が川になり、その川の濁流で石仏を削り取ることになったので、その結果、現在臼杵石仏を見るとたくさんの石仏の下半身が、切り取られたように無くなっていますが、その理由として考えらています。

石仏が置かれた環境が、とても劣悪な過酷な環境の中だったこともあって仏頭の多くが剥落しました。その中でも、数ある石仏の中で特に有名な古園石仏群の大日如来像の仏頭はいったいどこにあったのかというと、平成6年(1994年)に保存修復が終わるまで、仏体下の台座に置かれたままという状況でした。仏の頭を元の位置へ修復すべきなのか?それとも臼杵のシンボルになっているので仏頭はそのままにという意見もありましたが、国宝指定される条件として仏頭を修復するということが提示されたこともあって、現在は仏頭は修復されて頭はきちんと体と繋がっています。

そのことから、この石仏に参拝すると「首」が繋がる、つまりリストラされなくなるというご利益があるのでは?!という噂がでていいます。

かなり見ごたえのある臼杵磨崖仏なので、風連鍾乳洞の観光に合わせて臼杵磨崖仏も参拝しましょう。色々なお顔の仏様をみると、心もすっかりほっこりと癒されます。

国宝指定の臼杵磨崖仏

幻想的な火祭り

8月の最終土曜日に開催されているのが、西日本で最大級の火祭りと言われている「石仏火祭り」です。この火祭りの特徴は、約1000本にも上る松明に石仏が照らされて、とても幻想的な風景が浮かびます。石仏へのご加護の感謝、そしてお盆の時に帰ってきたご先祖様への送り火、そして虫追いとして深田地区では800年ほど前から伝えられてきた火祭りです。

石仏に松明とかがり火に、日が灯されるのは19時に一斉に火が灯されるので、「石仏火祭り」を観にいく時は19時前に到着するのがオススメです。一斉にともされると、景色が一変して幻想的な光景が広がる様子は臼杵市の夏の風物詩となっています。